赤くても青くてもりんご
多様性について、みんなどんな考えを持ってるんだろう、と考えることがある
私はその概念について、大学の講義で学ぶ機会があったからなんとなくは捉えているつもりだけど
よくわかってなくてついていけていない人も多いと思う
なんとなく価値観の画一化を迫られているみたいで抵抗がある人もいると思う
でも意外とシンプルな話だったりする
この世には「りんご」という果物が存在する
誰が何と言おうと、存在するという事実は揺るがない
そして、りんごにはいくつもの種類がある
これらも、存在するという事実は揺るがない
ここにおける「りんご」は、「多様性」にも置き換えられる
また、りんごの品種は人々の属性にも置き換えられる
女性、アフリカ系アメリカ人、キリスト教徒…
つまり、多様性は認めるとか作り出すとかそういう次元の話ではなく、すでに存在しているものといえるらしい
じゃあ、りんごは世界中の全員に好まれて食べられているかというと
そんなことはない
毎日食べるくらい好きな人もいれば、見るだけで気分が悪くなるくらい嫌いな人もいる
りんごは嫌いだけど、びわはよく食べる人もいる
そして、このような価値観が世の中に存在するという事実は揺るがない
これと同じように、世界中にはたくさんの価値観がある
例えば日本では、お笑いとして人を叩いたり蹴ったりする(もちろんプロ同士でケガしないようにするけど)
でも、アメリカではそれが「暴力」として非難される
つまり、日本のお笑い文化に違和感を持つ人が多いということ
「何かを受け入れられない」「何かに違和感がある」も多様性らしい
それなら、りんごが好きじゃない人はだめな人で、世界中の全員がりんごを好んで食べるようにならないといけないのかというと
そうはならない
バリバリ働くことに人生の価値を見出しても
いつも働いている夫に尽くすことがアイデンティティでも
どちらが正しくてどちらが間違っているなんてことにはならないし、かならずどちらかにならないといけないわけじゃない
違和感を覚えるということは、自分と相手に違いがあるということ
そういうときはどちらかに合わせるんじゃなくて、どういう違いがあるのか考えることが多様性の尊重らしい
でも、受け入れられないものは受け入れられないし、かといって自分の価値観をなかったことにするのは違うし
価値観が違う人とかかわりを持つのって難しいことかもしれない。。。
そういえば、りんごを見るだけで気分が悪くなる人は、どうしてそんなにりんごを食べたくないんだろう
話を聞くと、子供の頃はりんごが大好きで毎日食べてたとか
ある日、近所の無人販売所で買ったりんごを切ってみたら、中からたくさんの芋虫が出てきたことがあって、それから切る前のりんごが怖くなっちゃったらしい
だから、りんごをそのまま食べるのは難しいけど、ジュースにすれば飲めるんだって
こんな風に、価値観の裏には必ず歴史がある
違う価値観を持つ人との歩み寄りに困ったときは、「なぜ」にヒントがあるんだとか
言語の壁があってもあきらめる必要はないらしい
多様性ってこういうことらしい
だから、最近の価値観についていけなくてもいいんだよ~
おじさんはおじさんでいいんだよ
スマホが使えなくても缶切りが使えなくてもそれが当たり前~
生きてきた時代が違うからね
ところで、りんごはどんなふうに食べるのが好きですか
私はアップルパイです
あなたはどうですか?
おわり