大学生の日記

主に体調や精神状態の記録をしていましたが、今は関係ないことしか書いてません。オタクネット民大学生です。

にんげん ばんじ さいおう が うま

「石子と羽男」2話を観ました。

ショッピングモールにて法律相談を開催した弁護士の羽根岡とパラリーガルの石田のもとに、「息子が無断でソシャゲに大量課金してしまった」という女性から相談が舞い込む。依頼者の息子は中学受験を控えていたが、自宅や学習塾で猛勉強をする合間にスマホゲームにハマり、依頼者のクレジットカードを無断で使用して課金していた。未成年が親に無断で課金した場合、運営会社からの返金が認められることから羽根岡は依頼を受け、相手企業の顧問弁護士と対峙する。しかし、依頼者の息子はゲームを開始する際に「18歳以上である」と偽っていたと相手は主張し、裁判を持ちかけられてしまう。さらに、依頼者の息子は件のソシャゲに週2~3回しかログインしていないことが発覚。まるでゲームにのめりこんでいるとは思えないプレイ状況に疑問を持った羽根岡と石田がさらなる調査を進めていた矢先、依頼者の息子は心の内を吐露する。「俺、もう受験やめたい」…

 

今回のお話の序盤では「中学受験」「受験をやめたい子ども」と連続して登場したので、ついつい木村佳乃さん演じる依頼者が「毒親」や「教育ママ」だと判断してしまいました。

実際は、「中学受験に挑戦したい」という息子の意思を尊重し、塾の授業料を工面するためにダブルワークと家事を頑張りながら、女手一つで息子を育て上げる立派なお母さんでした。マジごめん。

息子はそんな母親を見て、「苦労をかけさせたくない」と考えたことから、受験をあきらめようとしていました。

そんな中、ソシャゲへの大量課金が原因で塾をやめさせられたという受験生の事例、未成年による無断での課金は返金対象になる、という記事をネットで見かけた息子が、母親に迷惑をかけず、なおかつ遠慮していることを悟られないように塾をやめるための一大作戦を計画した、というのが今回の真相でした。

母親は子を、子は母親を想うがゆえのすれ違いだったんですね。

終盤では、毎日孤食となってしまう息子のために、依頼者が料理をしながらおしゃべりする動画を撮影している場面、それを見ながら嬉しそうに食事をとる息子の場面がありました。めっちゃハートフル。心がポカポカすぎる。

一方で、受験をしたくても親にさせてもらえなかった学習塾の事務員も登場しました。

学習塾に通う子供たちに対し、「親ガチャ成功だ」と言っていました。

ちなみに、今回のお話では依頼者の息子による無断クレカ使用とは別に、第三者による依頼者のクレカ不正使用も発生していましたが、犯人は上記の事務員でした。

動機は、親ガチャに成功した子供と「ガチャの当たり」の親への嫌がらせでした。

羽根岡は「くっだらね」と一蹴していました。

ソシャゲガチャが親ガチャにつながるストーリーが良かったです。

 

 

少し前、「親ガチャ」は話題になりましたね。

なんJだの嫌儲だのの人間が適当を言っていたのが発祥かと思っていましたが、どうやら虐待サバイバー・毒親サバイバー界隈では有名な言葉だったみたいですね。

自己責任論がタブーとなりつつある現代で、運命論に振り切った考え方が台頭してきたんだなあと感じた覚えがあるようなないような。

 

もともとは、虐待を受けて育ったり毒親の元で育った人が、自責ややり場のない怒りによる苦しみから解き放たれるための言葉だったみたいです。

このような家庭で育った方々の心の痛みは計り知れませんが、「自分の親は悪い人だった」「自分は悪いことをしていない」と認識できることは、その人の苦しみを和らげ、前に進む力になるのではないかと勝手に想像しています。

 

同時に、「親ガチャ」という言葉は劇薬でもあると思います。

もともとは自分の過去によって前に進めなくなってしまった人たちが、次の一歩を踏み出すための道具として生み出された言葉でした。

しかし、この言葉が広く知れ渡ると同時に、この言葉が持つ「免罪性」という甘い蜜だけを求める人たちも増えました。

結果、いま世の中にある「親ガチャ」は、属性を現す言葉になってしまいました。

毒親」や「アダルトチルドレン」も同じみたいです。

問題解決のための試行錯誤を放棄する言い訳になってしまいました。

 

ドラマの中でも石子さんが事務員の考えについて言及していました。

確かに、家庭の裕福さや親の教育方針は、子供の在り方に少なからず影響しますし、生まれた環境によって苦しい生き方を余儀なくされた人たちもたくさんいます。

その人たちは、努力したくてもできない、あるいは努力する力さえ奪われた境遇であるという事実は変わりません。

ですが、「当たりの親」は子供を想って一生懸命に頑張っています。

「親ガチャに成功した子供」も、自分の環境に感謝しながら思い描く将来のために頑張っています。

「親ガチャ」に代表されるこの手の運命論を安易に持ち出すことは、このような人たちの努力を否定することになります。

 

親や家庭の在り方は、子供の一生を左右するものですし、機能不全家族や虐待親の元で育った人たちには、十分なケアや保障が必要なのは明白です。

この人たちの苦しみや被害を矮小化するつもりは一切ありません。

正しい目的・用量を守ることが大切だなあと思いました。

 

そもそも、親と子のどちらにせよ、その人がどのような価値観や信念を持っていて、何を考えて行動しているのか、つまり人物像もまともにわかっていないのに、「善・悪」や「良・不良」かなんて判断できるわけがないですよね。

その人の一側面を見ただけで、その人のすべてを判断するのは無理です。

そもそも、人は良か不良かで分けられるほど単純じゃありません。

ソシャゲのキャラですら、育成方針や編成で能力の発揮の仕方が変わります。

なにより、どんなに弱くても育ててるうちに愛着がわきますね!

私はつい愛着のあるキャラを編成してしまうので、なかなか対人戦で勝てませんでした。

やっぱり人生は生まれ持ったもので簡単に決まるほど甘くないです。

頑張る元気がある人は試行錯誤してみましょ。ない人はゆっくり休んで自分大事にしましょ。

 

 

とりあえず思っていたことを書きなぐりました。

課題もやらず。

課題をサボってブログを書いている、というだけで一気に説得力がなくなりますね。

あなたがデータ通信量を消費してまで読んだのは、課題をサボってネットをやっている大学生のクソ記事だったということですね。

申し訳なさがこみ上げてきますね。

ちなみにクソ記事なのでオチもありません。

💩

 

おわり